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東京地方裁判所 平成元年(ワ)8424号 判決

原告

三浦和義

被告

株式会社讀賣新聞社

右代表者代表取締役

小林與三次

右訴訟代理人弁護士

更田義彦

河野敬

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、八〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  違法行為

被告は、その発行に係る日刊紙「讀賣新聞」昭和六三年一〇月二一日付夕刊(四版・一九面)に、原告の三浦一美に対する殺人被疑事件(いわゆる銃撃事件)について、左記の(一)ないし(四)を含む記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

(一) 「『ナイル殺人事件』三浦犯行のヒント」のタイトル

(二) 「小口径、命に別状なし」、「図書館で下調べも」のサブタイトル

(三) 「……三浦和義(四一)が、日本でも大ヒットした英国のミステリー映画『ナイル殺人事件』をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」という本文記述部分

(四) 「特捜本部では、三浦の周辺にいた知人など関係者の証言から、映画好きの三浦が、『ナイル殺人事件』をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別状ないことを知り、さらに国会図書館に通って専門書などで確認のうえ犯行に及んだとみている。」という本文記述部分

原告は、銃撃事件について、終始一貫して被疑事実を否認しているところ、本件記事は、虚偽の事実を真実であるかのように報道し、これによりあたかも原告が同事件の犯人であるかのように読む者をして思わせるものである。すなわち、原告は、「ナイル殺人事件」という映画を見たことがなく、国会図書館に行ったこともないのに、原告が映画からヒントを得て犯行計画を立てたとか、その犯行の下調べのために図書館に通った等、いかにも犯人であるかのように報道されたことは、原告が銃撃事件の犯人であるかのように強烈に印象づけ、原告が無実を主張していることが虚偽のことであるかのように読む者をして思わせるものである。そして、記事内容のほとんどが全くの虚偽であることからすると、極めて違法性の高いものであり、本件記事を掲載したことで誤った認識を市民に与えた被告の責任は大きい。

2  損害

被告の右虚偽事実の掲載頒布によって原告の名誉は著しく毀損された。何人であっても、有罪判決が確定するまでは犯人として扱われないという名誉を有することはいうまでもないことである。極めて著名な影響力のあるメディアによって、右のような虚偽事実を書かれたことによる原告の信用失墜、精神的苦痛は量り知れない程に大きなものであり、その損害は少なくとも八〇〇万円を下らない。

3  よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として八〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、被告がその発行に係る日刊紙「讀賣新聞」昭和六三年一〇月二一日付夕刊(四版・一九面)に本件記事を掲載したことは認めるが、本件記事が虚偽であることは否認する。その余は争う。

2  同2は否認する。

三  被告の主張

1  原告は、昭和六三年一〇月二〇日、銃撃事件の被疑者として、警視庁に逮捕されたが、本件記事は、同事件が原告の犯罪行為であるとの一連の報道の一環として、銃撃実行犯に自分の足を撃たせた嫌疑とこのことに関する捜査状況を報道したものであり、公共の利害に関する事実を専ら公益を図るために報道したものである。

そして、銃撃事件が原告の犯罪行為であり、原告が銃撃実行犯に自分の足を撃たせたとする相当の嫌疑がある以上、本件記事は、原告の名誉を毀損するものではなく、原告が虚偽であると指摘する部分の真偽にかかわらず、表現の自由、報道の自由を保障する見地から許容されるものであって、到底違法とはいえない。

2  「ナイル殺人事件」はいわば健全な娯楽作品であり、このような映画を鑑賞すること自体は、もとより原告の社会的評価を何ら低下させるものではなく、国会図書館に通って専門書を閲覧することも同様である。したがって、「ナイル殺人事件」が原告の犯行の着想源ではなく、原告が図書館に通って専門書による確認をした事実がなかったとしても、銃撃事件が原告の犯罪行為である以上、本件記事は、原告の名誉を何ら毀損するものではなく、また、原告の前科、前歴、病歴、信用状態等の極めて重大な個人的な事項に関するものでもないから、プライバシー侵害その他法的保護に値する精神的損害を生じさせるものでもない。

3  また、本件記事のうち、真偽が問題となる主要部分は、「銃撃事件は、銃撃実行犯に自分の足を撃たせて被害者を装うトリック手口の点において、映画『ナイル殺人事件』と酷似している。捜査当局は、原告が『ナイル殺人事件』をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別状がないことを文献上も確認して本件犯行に及んだものと見ている。」との点である。したがって、原告が映画をいつどこで見たか、国会図書館にいつ行き、いかなる専門書によって下調べをしたかは主要部分ではなく、この点については真実であることの証明を要しない。

4  本件記事は、被告の社会部警視庁クラブ(以下「被告警視庁クラブ」という。)で取材したものであるが、取材の過程は以下のとおりであり、被告は、捜査本部が銃撃事件の着想源が映画「ナイル殺人事件」にあるとみて捜査を進めていることに間違いがないと判断し、また、右捜査本部の見方を当時の状況において是認し得るものと判断したものであって、被告が本件記事の内容が真実であると信じたことについて相当の理由がある。

(一) 被告警視庁クラブのキャップ中村清昭記者(以下「中村記者」という。)らは、昭和六三年九月末から一〇月上旬にかけて、銃撃事件について原告の逮捕の日が近いと見て、捜査本部所属の捜査員に対して頻繁に捜査状況を取材していたところ、一〇月一〇日ころ、捜査本部において映画「ナイル殺人事件」のビデオ鑑賞が行われたことを知った。

(二) そこで、同記者らにおいて取材を進めたところ、原告が銃撃事件に先立ち矢沢美智子らに対し「一美さん殺し」を持ち掛けた際、ピストルによる銃撃については、実行犯に自分の足を撃たせるなどして犯行の発覚を防ぐ計画を述べ、「完全犯罪」に対する自信を示していた旨矢沢美智子が殴打事件において供述していたことなどから、捜査本部が、原告の犯行のヒントについて検討し、原告が映画「ナイル殺人事件」を着想源としたとの見方を強めていることを知った。そして、その根拠として、右映画のあらすじと本件犯行の形態、特に財産の取得を狙って妻を殺害するについて凶器としてピストルを用いた上、自分の足を撃ってカムフラージュする点において酷似していること、凶器がいずれも二二口径のピストルであることなどによるとしていることを知った。

(三) また、同記者らは、捜査本部では、原告の性格、足の傷害の部位・程度、後遺症の有無・程度などから、原告は、自分の足を撃っても、出血等生命の危険がないことなどを予め慎重に調査確認したものとみており、関係者から得た情報に基づき、原告が国会図書館にまで通って資料を調べたとの点について捜査を進めていることを知った。

(四) 以上の取材に基づき、同記者らは、念のため、一〇月一八日、捜査本部の二人の捜査責任者(幹部)に直接当たり、これらの点について確認の取材をし、捜査本部が原告の犯行のヒントについて以上のとおり捜査を進めていることを確認した。

(五) 他方、同記者らは、本件銃撃事件の犯行の態様等について従前の取材経過を検討し、一〇月一五日ころ「ナイル殺人事件」のビデオを鑑賞、分析し、さらに、原告の知人等に対し連絡を取り、確認を求める努力を行った。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  たとえ、本件記事が公共の利害に関する事実を公益を図る目的で掲載したものであったとしても、被告は、摘示した事実が真実であることを証明しなければ、原告の名誉を毀損したことになる。被告は、その記事が警察の提供する情報に基づいて取材したとの一事により真実性の立証を免れ得るものではない。そして、その真実性の立証とは、記事の内容そのものが真実であることの証明を意味するところ、本件記事の主要部分は、原告が「ナイル殺人事件」を犯行のヒントにしたこと及び図書館で専門書を閲覧して下調べをしたことであり、本件記事は、このことを犯罪計画の一部として摘示しているのであるから、この点につき虚偽がある以上、被告は、名誉毀損の責任を免れない。

2  本件記事は、「……日本でも大ヒットした英国のミステリー映画『ナイル殺人事件』をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」と断定しており、「『ナイル殺人事件』三浦犯行のヒント」という記事のタイトルには疑問符も付さず、また、写真に付した説明も、「三浦が事件の手本にした……」と断定しているのであり、仮に被告が主張するように捜査が進められていたとしても、その程度のことを本件記事のように、何らの具体的根拠を示さないまま、明白に断定して報道することは許されない。

3  被告は、単に捜査員の情報提供に基づき、原告に問い合わせる等して裏付け取材をすることなく、何ら具体的な根拠もないのに、本件記事を報道したものであり、被告の記事作りは杜撰で、記事内容が真実であると信じたことに相当の理由があるとはいえない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1のうち、被告がその発行に係る日刊紙「讀賣新聞」昭和六三年一〇月二一日付夕刊(四版・一九面)に本件記事を掲載したことは当事者間に争いがない。

二1  ところで、本件記事は、保険金目当ての殺人という極めて重大な犯罪の嫌疑に関し、その犯行の着想源等についての捜査状況ないし捜査機関の見方を報道したものであり、この報道は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出たものであると認められ、この認定を妨げる事情は認められない。

2  もっとも、この点について、原告は、本件記事の表現は極めて断定的であり、具体的根拠を示さないで、このような報道をすることは許されないと主張する。そして、〈証拠〉によれば、確かに本件記事中には、「……日本でも大ヒットした英国のミステリー映画『ナイル殺人事件』をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」との記載、「『ナイル殺人事件』三浦犯行のヒント」というタイトル、あるいは写真に付した「三浦が事件の手本にした……」との説明のように断定的な表現を用いた部分があることが認められる。しかしながら、本件記事本文の第一段落は、その第一文において「警視庁特捜本部……突き止めた。」とし、その第三文において「特捜本部では……と見ている。」として、本件記事記載の事件の見方をしている主体が捜査本部であることを明示しているところであり、また、最終段落は、「同本部でも……捜査を進めていた。」とし、本件記事が捜査状況に関する報道であることを明らかにしており、さらに、本件記事のタイトルは、記事本文の記載に独立した内容又は評価を付加するような性質のものではなく、記事本文を総括するものにすぎないと認められることに照らせば、本件記事は、全体として見れば、前示のとおり、銃撃事件に関し、その犯行の着想源等についての捜査状況ないし捜査機関の見方を伝えたものであって、原告主張のように原告に関する銃撃事件についての疑惑の内容を事実として断定したものではないということができる。したがって、原告の右主張は理由がない。

三1 そこで、本件記事の内容たる事実が真実であるか、又は被告がこれを真実であると信じたことについて相当の理由があったかどうかが問題となる。

そして、後に四1において認定する事実によれば、本件記事が掲載された当時、捜査機関が本件記事にあるとおりの見方で捜査を進めていたことは真実であると認められるが、原告の名誉に関するのは、そのこと自体ではなく、捜査機関の見方として報道された、映画を犯行の着想源として犯行に及んだ等の事実であるから、被告は、このことが真実であるか、又はこれを真実であると信じたことについて相当の理由があることを証明しなければ、名誉毀損の責任を免れ得るものではないというべきである。

2  なお、この点について、被告は、原告が映画「ナイル殺人事件」を見たことや、国会図書館に通って専門書を閲覧したこと自体は、健全なことで、何ら原告の名誉を毀損するものではなく、また、この部分は、本件記事の主要な部分でもないから、たとえこの部分が真実でなくても、名誉毀損とはならない旨主張するが、本件記事は、原告が「ナイル殺人事件」を見たということや、図書館に通って専門書を調べたということを、原告の犯行に至る経緯や犯情に関する重要な事実として報道したものであり、これにより読者をしていかにも原告が被疑事件の犯人であることは間違いないと思わせる効果を有するものであると認められ、この点も、本件記事の主要な部分の一部をなすものとして、真実性の証明が要求される事項であるというべきである。

3  そして、右のとおり、本件記事の主要な部分は、原告が映画「ナイル殺人事件」を見、これを着想源にして犯行を計画し、国会図書館に通って所要の調査をした上で犯行に及んだとの点にあるというべきであるが、この点の真実性については、これを認めるに足りる証拠は存在しない。

四1  そこで、被告が前示本件記事の主要な部分が真実であると信じたことについて相当の理由があったかどうかについて検討するに、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、三浦一美に対する殺人未遂等被告事件(いわゆる殴打事件)について、昭和六三年八月七日、東京地方裁判所において懲役六年の有罪判決を受け、現在控訴中であり、銃撃事件については、昭和六三年一〇月二〇日に逮捕され、同年一一月一〇日、起訴され、現在同事件は東京地方裁判所に係属中である。

(二)  被告警視庁クラブは、銃撃事件に関する原告の容疑について、検察庁及び警察の係官がロス・アンゼルス市に派遣された昭和六三年五月頃から取材活動を進めて来た。そして、本件記事掲載当時の被告警視庁クラブは、中村記者をキャップとする合計一〇名の構成であり、以下に述べる警視庁の捜査員からの取材は主として捜査第一課担当の三人の記者がこれに当たっていた。

(三)  本件記事報道の一箇月位前ころ、被告警視庁クラブの記者が、警視庁の捜査員が国会図書館に出入りしていることを聞知し、そのことに関して取材したところ、いわゆる殴打事件の裁判において矢沢美智子が、原告から「一美さんを撃ち、それから原告の足を撃て。」と言われていたと供述したことに関連して、原告が、銃弾で撃たれても死なない可能性につき、専門文献で調査したかどうかについて、文献の貸出カードなどから捜査を進めていること、また、警察のこの捜査の契機となったのは、原告の経営に係る輸入雑貨会社フルハムロードの元従業員から、原告が、映画化されたイギリスの犯罪小説の中に完全犯罪に関するものがあるという話をしていた事実を捜査員が聞き込んできたことにあったことを知った。

(四)  さらに、被告警視庁クラブの記者は、昭和六三年一〇月一〇日ころ、警視庁の捜査員から、同人らが原告についての捜査に関連して検察官立会いの上、映画「ナイル殺人事件」のビデオを見たこと、そして、警察としてはこれが原告の犯行のヒントになったとみて捜査を進めていることを取材してきた。

(五)  そこで、被告警視庁クラブにおいても、独自にレンタルビデオショップで「ナイル殺人事件」のビデオを借りて見てみたところ、その内容は、妻の財産を狙った犯罪であること、犯行に二二口径の銃が使用されていること、犯人がその犯行をカムフラージュするためにその銃で自分の足を撃つこと、海外で敢行された犯罪であること等の点において、原告の銃撃事件についての被疑事件の内容と共通していることが判明し、中村記者らは、銃撃事件の犯行の手口からして、この映画を見ていなければ、犯行を思い付くとは考えられず、原告が映画「ナイル殺人事件」を見たのは間違いないと考えた。

(六)  次いで、被告警視庁クラブは、前示のとおり原告の犯行の着想源に関する捜査がフルハムロードの元従業員からの聞き込みが契機となったと聞いていたところから、フルハムロードの元従業員に取材したところ、原告が推理小説や映画が好きであるという情報を得た。

(七)  被告警視庁クラブが、最終的に本件記事を掲載するについて、一〇月一八日、捜査本部の捜査第一課長に当たって確認の取材をしたところ、同課長は、原告が「ナイル殺人事件」の映画を見たことも、国会図書館に行ったことも間違いないだろうと答えた。

(八)  なお、原告が、国会図書館に通って専門書を調査したとの点については、被告の国会担当記者が裏付け調査を試みたが、入館票が五年の保存期間の経過により既に廃棄されていたため、確認することができなかった。

(九)  右のように、本件記事に関する取材は、一〇月一八日の時点でほぼ完了していたが、被告としては、原告の逮捕まで報道を控えていた。ところが、同月二〇日、原告が銃撃事件で逮捕され、その際、捜査当局が、正式の記者会見で、原告が共犯者大久保美邦に、三浦一美を銃撃させて殺害した上、カムフラージュのため自己の足を撃たせた旨述べ、各報道機関が一斉にこのことを報道したので、前示取材に係る事実を報道することに踏み切り、翌日本件記事を掲載した。

2  以上のとおりであって、被告警視庁クラブが本件記事の内容たる事実が真実であることを確認するためにした取材とその結果得られた情報は、捜査本部の捜査員が、国会図書館に出入りし、原告が同図書館で文献の調査をしたかどうかについて捜査し、また、検察官も立会いの上、「ナイル殺人事件」のビデオを見たことを確認したこと、自分たちも「ナイル殺人事件」のビデオを見てその犯人の犯行の手口が銃撃事件の被疑事実に良く似ていることを確認したこと、原告の関係者に接触し、原告が映画好きであるとの供述を得たこと、本件記事の掲載の直前に捜査本部の課長に当たって原告が「ナイル殺人事件」の映画を見たことも、国会図書館に行ったことも間違いないだろうという確認を得たことに止まるのであり、原告が図書館に通って専門書を閲覧したという点については、自ら裏付け取材を試みたが、不奏効に終わったというのであり、被告が他に見るべき裏付け取材を行ったことについては、主張立証がない。

しかしながら、本件記事の内容は、犯罪の着想源は何かということに関するものであって、その性質上、これについて、被告警視庁クラブが行ったことのほかに、より適切な裏付け取材の余地があったとは考えにくいところであり、加えて、本件記事は、原告が逮捕されたことに関する報道の一環として、原告の逮捕後すみやかに報道する必要性が高いものであり、本件報道には緊急性があったと認められることを考慮するならば、被告としては、そのような時間的な制約の中で、報道機関として可能な限りの裏付け取材を試みたものというべきである。

3  確かに、原告が指摘するように、被告警視庁クラブは、原告本人又はその弁護人に当たって事実を確認することはしなかったが、原告は、一貫して被疑事実に関して無実を主張していたのであって、本件記事の内容につき原告やその弁護人に取材したところで、裏付けとなるような供述が得られる見込みはなかったと考えられるから、右事実をもって、被告の裏付け取材が不十分であったとはいえない。

4  また、原告の指摘のように、捜査員に対する取材の際に、被告の記者が、原告が「ナイル殺人事件」を見たに違いないという結論部分だけでなく、いかなる根拠に基づいて捜査員がそのような見方をしているのかという点につき、具体的に聞いたとは認められないところである。しかしながら、現に捜査が進行中の事件に関し、捜査員からその事件の見方の根拠まで聞き出すのは極めて困難であったと考えられること、また、前示のように、被告においても可能な限り裏付けのための取材を試みた上で、捜査員の見方が首肯し得るものと判断したものであることにかんがみるならば、捜査員からその見方の具体的な根拠を聞かなかったからといって、被告において本件記事の内容が真実であると信じたことが軽率であったと評価するのは相当でない。

5 このように、被告警視庁クラブは、本件記事の内容たる事実を、現に捜査に当たっていた警視庁の捜査担当者から、捜査当局の見方ないし捜査状況に関する情報として提供された後、報道機関として可能な限りの裏付け取材を試みた上、念のため、記事の掲載の直前に捜査当局の責任者の確認を得たものであり、前示のとおり、本件記事は、原告が逮捕された後すみやかに報道する必要性が高く、本件報道には緊急性があったことを併せ考えるならば、被告において本件記事の内容たる事実が、捜査官の単なる思い付きや想像ではなく、相当の根拠があるものであり、したがって、真実であると信じたことには相当の理由があったというべきである。

五以上によれば、原告の請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青山正明 裁判官千葉勝美 裁判官田代雅彦)

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